つれづれなるままに萌えを吐いています。
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移転1年目の日ハムで、松坂からホームランを打ったあの日。
その直前に彼はショートでエラーをやらかしました。
その直後の打席。
「さっきのエラーを取り返せー!」なんて言ったら打ったもんだから。
気付けば虜になっていた。
やっぱりエラーは多いんだけど、それ以上にファインプレーが格好良くて。
古城さんのプレー見たさにドームに通った移転2年目。
冬には練習場で出待ちなんかして。
ずっと2軍と1軍を行き来して、どうなるんだろうと思ってた矢先に、突然のトレード。
ショックだったし、スターだらけの巨人でやっていけるんだろうかと心配もした。
でも、守備はいいんだし、打撃面さえ環境が変わればやれると思ってた。
そして一軍に上がって、
必死な、食らいつくようなヒットとファインプレーとで球場を沸かせた。
連敗中だったチームを勢いづけた。
移転当時のハムはまだ、今みたく道民向け番組なんかも少なかったから、人柄が知れなかったけど、ズムサタに出るようになってから、明るい人なんだなと思った。
でも、野球に対してはとても真剣で…。
そういう姿勢にますます惚れた。
暗黒期ともいわれる2006年の巨人を支え、そこからの3連覇に大きく貢献した古城さん。
大きな走塁ミスもあった。
大きなエラーもあった。
でも、日ハム時代に少しだけその片鱗を見せた謎の勝負強さと意外性で、それを帳消しにする以上の活躍をした。自演乙と言われることもしばしばだったw
「福島のみなさん、やりましたー!」とか、
「今日のヒーローは、俺やで!」とか、
「茂ちゃんフィーバーしてくれましたか!?」とか、
すべり芸名言もヒロインで残してくれたw
できればもう一度、その活躍を見たかった。
でももう見れないんだね…。
持ち前の明るさと、野球に対する真面目さは、私が感じた通りに、巨人のチームメイトやファンに愛されていたようだった。
10/3の試合が終わった後、古城さんがライトスタンドに走って行って、ファンに深々とお辞儀した。応えるようにファンは歓声を上げて…その想いに、古城さんは涙していた。
戻ってきて、皆に胴上げされて、原監督と抱き合って、最後は水を掛けられて…。
通算成績は全くと言っていいほど振るわなかった。
でも、それ以上の多くのものを、彼はチームに、ファンに残してくれた。
同じ境遇だったキムタクや大道と同じ…いやそれ以上に、彼には『何か』が確実にあった。
ハムにいたころ、古城さんがレギュラーを取ってくれたら、きっと野球は楽しいものになる、とずっと思ってた。
通年レギュラーにはなれなかったけど、古城さんの野球は本当に楽しかった。
けれど、やっぱり同じように楽しいと思ってくれてた人が大勢いた。
そして監督に、チームメイトに愛された。
なんだかそれがとても嬉しい。
10/3のあの試合の後のすべてが、日ハム時代から追いかけきた自分には本当にうれしかった。
この人が野球を辞めるときは、自分から身を引くだろうなと思っていたけど、
ファンフェスであいさつする程度だろうと思っていたから…
若手の内野手が一様にお手本としたというその守備力を、できればコーチとなって伝えていってくれればなと思う。
キムタクの一件もあるし、すぐには無理だろうけど。
でもいつかきっと、またドームでその姿を見られる日を待ってる。
今まで楽しい野球をありがとう、そしてお疲れ様でした。
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